寺カフェ法話


僧侶「三浦性曉」による、役に立つ法話。


『除夜の鐘』~百八の煩悩(ぼんのう)~


今年も早や12月となりました。世間では、先月からクリスマスソングが流れ、正月の飾りやお節料理の宣伝など、急き立てるように年末年始へと人を駆り立てます。 お寺も僧侶も、世間と同じく忙しい時期であることには変わりはありません。中でも、年末の大掃除や「除夜の鐘」、新年を迎える法要「修正会(元旦会)」の準備など、まさに「師走」です。 さて、大晦日に撞かれる「除夜の鐘」は、108つ撞かれることはよく知られています。なぜ108かと言うと、一般には「煩悩の数」とされ、その数だけ鐘を撞き、煩悩を払うことを願うものとされています。
そもそも、「煩悩」とは、「身を煩わせ、心を悩ますもの」で、自らを苦しめ悩ます根本を指します。その代表が「よくと、いかりと、ぐち」で、「三毒の煩悩」と言われています。しかし、それは3つに止まらず、広げればどんどん増えていき、108どころか無数にあると言えます。

108と言えば、僧侶が持つ正規の「数珠(念珠)」も108つの珠で出来ています。因みに数珠は、字が示す通り、もともとは数を数えるための道具で、中国にわたり「そろばん」となったと言われています。
その108つの珠も煩悩の数を表すとも言われていますが、一方、仏様の名の数とも言われています。もちろん、仏様はガンジス川の砂ほどおられると説かれ、108には止まりません。
つまり、108とは、単に108ではなく、数え切れないという意味です。

去りゆく年に思いを巡らせ、新年を寿ぐ除夜の鐘は、煩悩を払うためと言うよりも、数え切れない煩悩に年中振り回され、苦の種(因)を撒いてきた自らを振り返る大切なご縁だと言えます。また、そんな私たちを案じてくださる仏様のお慈悲に気づかせていただく尊い行事なのです。
そうした意味で「ゴーン」と響く鐘の音は、無数の煩悩を消し去ろうとする仏様の願いであり、自ら苦しむ私たちを救わんとする仏様の呼び声です。これが「南無阿弥陀仏」です。
この大晦日は、鐘を撞きに行くのも良し、遠くで耳を澄ませるのも良し、また、その音が聞こえなければ、「ナモアミダブツ」と自ら称えて、仏様の慈しみの心に包まれたよろこびで新年を迎えてみては如何でしょう。

合掌


三浦性曉プロフィール
僧侶となって40年、寺院住職23年の経験、また、布教使として30数年の全国での講演活動の実践と学びをもとに、都市開教に取り組んでいます。


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