親鸞の生涯

親鸞聖人はどんなひとだったのでしょう

親鸞聖人(1173年〜1262年)

親鸞聖人は、今から約800年前に誕生。平安時代から鎌倉時代にかけて、90年の生涯をおくりました。


9才で出家し、出家の日に詠んだ和歌が「明日ありと…」です。とても9才の子が詠んだとは思えません。
その後、比叡山延暦寺で20年間の修行をして仏教を学びました。


しかし、常に欲望という煩悩に悩まされていたため、29才で比叡山を降り、京都の街中にある六角堂に100日籠りました。
そして法然上人と出会い、勉学に励み頭角を顕してい来ます。


その後、時の政権に罪人として越後(今の新潟県)に流罪となってしまいます。
越後の土豪の娘・恵信尼を妻とし、やがて越後から関東へ布教の旅に出ます。
関東では多くの弟子を育て、60歳で京都に帰ります。


90才でお亡くなりになるまで、人々に「どのような人であれ念仏ひとつで救われる」という念仏の教えを伝え続けました。

ここは延仁寺
親鸞聖人御荼毘所と言われている

真宗・大谷派「延仁寺えんにんじ

弘長二年十一月の頃より、親鸞聖人はいささか具合が悪くなられた。
それ以後は、日常的な話をされることもなく、ただ仏恩の深さばかりを述べられる。
絶えずお念仏を称え、その他のことは一切口にされない。
そうして二十八日の正午、お釈迦さまと同じく頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)に臥され、ついに念仏の息は絶え果てた。
御年九十歳であられた。
お住まいの坊舎は押小路の南で万里小路の東であったから、遠く鴨川の東を通って、京都東山の西のふもと、鳥部野の南のほとりにある延仁寺で荼毘に付し申し上げる。

「延仁寺」の名はここに出てきます。親鸞聖人のご遺体を空しき煙と見送った地、それがこの延仁寺なのです。

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