親鸞聖人 二十四輩


僧侶「安静至邦」による、二十四輩のお寺巡り。


~由緒正しき善重寺~


遍照山 光明院 善重寺
宗派:真宗大谷派
場所:茨城県水戸市酒門町2096-2



※善重寺最寄バス停

今回は電車とバスを乗り継いで、茨城県の水戸市にある、真宗大谷派の善重寺に訪れました。
無事お寺に着きますと、役僧さんといわれるお寺のお手伝いをするお坊さんにご案内をされました。少しお話をしてみると私と同年齢で、私と同時期に関東に来られてお寺のお手伝いをされている方でした。環境は違っても、私と同じような課題や悩みを抱えながら生活をされており、宗派の垣根を越え、さまざまなお話をさせていただきました。
ふとしたところに、思いもよらないご縁があり、私にとって良い刺激になりました。

さて、ここ善重寺の開基は長田(三浦)義重といわれる、鎌倉の三浦一門の武士だったそうです。
1216年、関東で布教伝道の旅をされていた親鸞聖人が鹿島神宮へと向かう際、常陸の桜川という川を渡れずに困っていたところ、たまたま居合せた義重が聖人を背負い、川を渡したそうです。これが親鸞聖人と義重との出遇いでした。これがご縁となり、義重は教化を受けて弟子となり、善念という法名を授かったそうです。
この授かった法名の「善」という一字と、義重の「重」の一字を併せて「善重寺」と号されるようになったそうです。
本堂内のお浄土の世界を表現した内陣(ないじん)には、阿弥陀如来がご安置されています。見入ってしまう程の美しいお飾りが施されていました。

※太子堂

※内陣


徳川光圀公による保護


善重寺は、時代の移り変わりによって寺基(お寺の場所)を転々とされますが、1667年にかの有名な徳川光圀公の保護を受け、現在の場所に移転しました。また、触(ふれ)頭(がしら)といわれる役割担います。触頭とは、幕府の命令を周りのお寺に伝え、取り仕切り管轄していたお寺のことです。徳川家に信託された善重寺には、多くの宝物が残され守られていますが、中でも『木造聖徳太子像』、『恵信禅尼絵像』は素晴らしいものでした。
善重寺の境内(庭)に、「太子堂」といわれる八角堂があります。その名のとおり八角で造られているそのお堂には、国の重要文化財に指定をされている聖徳太子像がご安置されていました。この像は、徳川光圀公が善重寺に寄進をされたそうです。聖徳太子のご命日の2月22日のみご開帳されるお堂でしたが、特別に太子堂に入らせていただきました。これまでにも、仏教との関わりが深い聖徳太子像を見てきましたが、善重寺のお像は極めて美しく、高さが約1,3mもある大きなお像でした。鎌倉時代に造られたとは思えないような、尊いお姿をされていました。 また黒書院(くろしょいん)といわれる座敷の間では、親鸞聖人の奥様を描かれた『恵信禅尼絵像』等の掛け軸を拝見しました。
こういった寺宝は、本来なら博物館で見るような貴重な文化財ですが、「直接近くで見ていただいて、お寺でお話を聞いてもらいたい」と、御住職様はおっしゃられていました。

※太子堂

少し足を延ばして、こうした浄土真宗の御旧跡(ごきゅうせき)といわれる由緒のあるお寺に伺うことで、今まで知らなかった学びや、出逢いがありました。丁寧にご案内してくださった御住職様、そして同世代の役僧の方に、その地域や風土といった人々の営みだけではなく、念仏の教えやお寺の歴史を教えていただきました


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