親鸞聖人 二十四輩


僧侶「安静至邦」による、二十四輩のお寺巡り。


~茅葺屋根の無量寿寺~


光明山 無碍光院 無量寿寺
宗派:浄土真宗本願寺派
場所:茨城県鉾田市鳥栖1013


今回は、二十四輩の第三番、無量寿寺に訪れました。茨城県鉾田市の人里離れた山あいにそのお寺があります。なるべく自分の足で巡りたい思いから、最寄りのバス停から3km程は徒歩で向かいましたが、とても疲れました。やっとお寺の入口である山門が見えてはきたと思いきや、最後の関門の長い石段が待っていました。



何とか登り終えると、茅葺屋根のとても美しい本堂が目に飛び込んできました。補修などの手入れが大変な茅葺屋根のお寺は、今ではとても珍しくなってきましたが、近くで見るとそのたたずまいに圧倒されました。806年に創建されて以来、寺基を移動せずに残されおり、周りの静けさと、お寺の独特な雰囲気に気持ちがとても癒されるようでした。
ここ無量寿寺は元々三論宗の「無量寺」お寺であり、親鸞聖人がお弟子と共に三年間滞在され、念仏道場として活動拠点とされていました。そのお弟子ですが、片岡信親という貴族の末裔で、鹿島神宮の大宮司であった方が親鸞聖人の教化を受け、お弟子になられたそうです。法名を順信房と名乗り、親鸞聖人と共に伝道布教をされました。


女人成仏の逸話




伝承によると、親鸞聖人がここを訪れる以前は、無住のお寺だったそうです。それは、当時地頭の職であった少輔平高時という方の妻が難産で亡くなり、この寺に葬られたが、その妻が幽霊となって現れたため、元々住んでいた住職は逃げ去ってしまったということです。
そんな時に順信房とこの地を訪れた親鸞聖人は、困り果てていた村人たちに小石を集めさせ、小さな小石に三部経(浄土真宗で最も大切にしている三つの経典)の経文を一文字ずつ書いて塚に埋めて、妻の霊を済度したそうです。今でもその塚や『幽霊の図』などが残されております。
この出来事の後、無住であった「無量寺」から寿の字を加えて「無量寿寺」として、順信房が念仏道場として継がれたそうです。「無量寿」とは、「限りの無いいのちの仏さま」である「阿弥陀如来」の別名です。阿弥陀如来を御本尊と仰ぎつつ、お念仏の尊い教えを多くの方々に伝えたいという思いを、肌で感じました。

今回時間をかけて参拝させていただきましたが、親鸞聖人やお弟子方は徒歩で村々を回り、伝道をされていたご苦労を思いますと考え深いものとなりました。
お寺の佇まいに圧倒され、逸話に驚かされた参拝となりました。

合掌


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