親鸞聖人 二十四輩


僧侶「安静至邦」による、二十四輩のお寺巡り。


800年変わらぬ場所で~常弘寺~


二十四輩第二十番 慈善房(じぜんぼう)
浄土真宗本願寺派 玉川山 宝寿院 常弘寺
(じょうどしんしゅうほんがんじは ぎょくせんざん ほうじゅいん じょうこうじ)
場所:茨城県常陸大宮市石沢1467
アクセス:JR水郡線谷常陸大宮駅から徒歩20分


厳しい冬の寒さから、少しづつ春の訪れを感じるようになりました。春の花を見ながら、小鳥たちの声を聞きながら、お寺参りの楽しみが増える季節といえるでしょう。
今回のお寺は、玉川という小川がお寺の近くを流れており、自然と共にその歴史を育んできたことから、その川の名になぞらえて「玉川山」という山号を頂いているそうです。普段はお寺に縁のなかった方も、気候のよいこの時期にお寺へお参りしてみますと、自然に触れながら日常にはなかった「新たな発見」があるかもしれません。

さて、今回私が訪れたお寺は、創建以来約800年間、お寺の場所(寺基)を変えず、当時の場所で残されているそうです。親鸞聖人が訪れた時の場所であっても、藩や権力者の意向によってお寺が移されていることがよくあるなかで、この常弘寺は移転をすることなく、この場所で教えが伝えられ続けているそうです。本堂は約400年の歴史があり、素朴なその伽藍は心の落ち着く印象でした。



ここ常弘寺の開基である慈善房という方は、俗名を壺井大学頭橘重義(つぼいだいがくのかみたちばなしげよし)といい、後鳥羽院に仕え、歌道に優れた方であったそうです。
しかし、讒言によって京の都を追放され、諸国を移り住む生活を余儀なくされました。多くの国を超えて、ついに辿り着いたのが太子堂といわれる聖徳太子の御像を安置するお堂でした。この太子堂が、現在私の訪れた常弘寺となっていくお堂ということです。
その後、稲田の草庵という場所で伝道布教をされていた親鸞聖人を訪ね、念仏の教えに感銘を受け、お弟子となられたそうです。自らが聖人と出遇うご縁となった太子堂にて、念仏の教えを説かれる生活をされましたが、その後「常弘寺」という寺名を賜り、現在に至るそうです。

元々、歌に秀でていた慈善房でしたが、浄土真宗のお念仏の教えに出遇われ、それまでのさまざまな人生の逆風の苦しみが喜びとなったその心境を歌で残されています。



「大谷の清き教えの名を残す これぞ誠の法の玉川」

「大谷」とは京都の東山を指していますが、お念仏の清らかな教えが京都から数々の国を超え、関東の地へと受け継がれた喜びを歌われているように感じました。
さまざまな歴史の移り変わりの中で、当然変わってゆくものもあれば、時代・世間の移り変わりに惑うことなく不変として人々を導き続けるお念仏のともしびを、常弘寺での参拝で教えて頂きました。


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