親鸞聖人 二十四輩


僧侶「安静至邦」による、二十四輩のお寺巡り。


数々の逸話が残る~如來寺~


二十四輩第四番 乗念房
真宗大谷派 帰命山 無量寿院 如來寺(しんしゅうおおたには きみょうざん むりょうじゅいん にょらいじ)
場所:茨城県石岡市柿岡2741-1


浄土真宗の宗祖、親鸞聖人がお念仏の教えを顕わされたお書物のなかに『正信(しょうしん)念仏偈(ねんぶつげ)』というものがあります。「お正信偈」と親しまれ、浄土真宗では最もポピュラーなお聖教といえますが、その冒頭は「帰命無量寿如来」(阿弥陀如来の別名)と、仏さまのお名前から始まっています。今回参拝させて頂いたお寺は、この仏さまのお名前が由来となったお寺でした。



親鸞聖人の足跡を辿りますと、多くの伝説や逸話を耳にすることが多いです。今回訪れた如來寺も、多くの逸話が残されているお寺でありました。お寺のあるこの地方には「霞ヶ浦」という日本で二番目に大きな湖があります。お寺に残る伝承では、今から800年程前に霞ヶ浦の湖中に怪しく光る物体が現れ、漁獲が減少し漁師たちの生活が困窮してしまったそうです。
そんなとき、自身を鹿島明神と称する白髪の老人が浮木に乗って現れ、「明日ここに末代の名僧が通るので、救いを仰ぐように」と告げて姿を消したといいます。その翌日、村人たちの前に現れたのが、まさに関東の地でお念仏の教えを説きながら旅をされていた親鸞聖人でありました。親鸞聖人は村人たちの話を聞くと、漁師たちと共に舟に乗り込み、網を用いて光る物体を引き上げました。その光る物体の正体は、なんと阿弥陀如来の仏像であったそうです。
親鸞聖人は、この仏像を御本尊とし、また白髪の老人が乗ってきた浮木で聖徳太子の御像を刻み、道場に安置したといいます。(この光る阿弥陀如来像は、親鸞聖人が京都へ戻る際に別の寺院に移されおり、現在は別の阿弥陀如来像をご安置しているそうです)これが如來寺の起こりとなったそうです。


浮き足の太子像

如來寺を親鸞聖人に託されたお弟子の名を乗念房といい、親鸞聖人が関東を去られたのちも、如來寺において多くの方々に念仏の教えを説き広められたといいます。私なりに考えますと、湖から阿弥陀如来像が出現したのも、この地でお念仏の救いを広める機縁として、現れ出て下さったのかと思いました。
親鸞聖人が如來寺を去られる際、浮木で彫られた聖徳太子像が別れを惜しみ、戸口へ飛び出したといいます。この逸話から「浮き足の像」といわれるそうです。実際に拝見しますと、精悍な顔立ちで、右足が少し浮いている不思議な聖徳太子の御像でした。



これらの逸話は、あくまでも伝承ではあるけれども、これらの話が大切に残されている所以は、親鸞聖人が残された功績と、多大なご苦労がそこにあった事を知らせて頂いているのかなと感じました。お寺がその土地の方々と深く結びつき、共に念仏の生活をされてきたなかで、多くの逸話が残されてきたということを今回の参拝で気づかせて頂きました。


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