親鸞聖人 二十四輩


僧侶「安静至邦」による、二十四輩のお寺巡り。


山伏の修行者から念仏者へ~上宮寺~


二十四輩第十九番 明法房
浄土真宗本願寺派 楢原山 正法院 上宮寺
(じょうどしんしゅうほんがんじは ならはらさん しょうほういん じょうぐうじ)
場所:茨城県那珂市本米崎2270


お寺へと続く綺麗な参道、そして親鸞聖人の大きな御像が印象的なお寺に伺いました。
今回ご紹介するお寺は、二十四輩の中でも知られた弁円(播磨公弁円)というお弟子が開かれたお寺です。
この弁円という方は、元は密教と日本古来の山岳信仰が結びついて成立した修験道の行者(山伏)だったといいます。



この地域で修験道の先達者として崇拝を集めていた弁円でしたが、まさに関東の地でお念仏の布教の旅をされていた親鸞聖人の噂を耳にします。修験道と親鸞聖人の説くお念仏の教えは相容れないものであるため、親鸞聖人のもとへ人々が集まり、お念仏の教えを聞き帰依してゆくことを弁円は快く思いませんでした。
弁円は親鸞聖人をこらしめようと山の通り道で待ち伏せをしたりしますが、なかなか上手くはいかず、いよいよ最後は親鸞聖人が布教活動の拠点とされた稲田の草庵に弓・刀を手に押しかけました。
ところが、怒号をあげ命を狙おうと押し入った弁円に対して、親鸞聖人は和やかな表情で静かに迎えたといいます。自身の命を狙おうとしたものに対して、凛とした面立ちで平然と迎える親鸞聖人をみて、弁円はたちまちに敵意・害心が消え、その心を悔い改めてそのままお弟子となられたそうです。



現在でも、弁円が会心した際にその場で真っ二つにした弓と、修験道に用いていた法螺貝が上宮寺に残されています。弁円は法名を明法房と賜り、生涯念仏者としての人生を歩まれました。
上宮寺には修験道からお念仏の教えに帰依された明法房弁円に対して、親鸞聖人が喜びの心を込めて詠まれた歌が伝わっていました。


弁円の真似する人は多けれど 明法房となる人ぞなし


念仏をそしり、はじめは親鸞聖人の命を狙った弁円ではあったが、それを一つの仏縁として南無阿弥陀仏の教えに帰依をされたことを讃える歌です。自分と違った考えを持った者に対して、敵対することは簡単だけれども、自身の罪を省みて受け入れてゆくことはなかなかできないことのように思います。
自分を殺そうと乗り込んできた者に対する親鸞聖人の安穏な姿勢と、自己の愚かさを省みて、念仏者としての人生を歩まれた弁円の仏縁の尊さを上宮寺において知らせて頂きました。


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