親鸞聖人 二十四輩


僧侶「安静至邦」による、二十四輩のお寺巡り。


真宗七ヵ寺の中心~浄光寺~


二十四輩第二十一番 唯仏房
浄土真宗本願寺派 衆宝山 無量光院 浄光寺
(じょうどしんしゅうほんがんじは しゅうほうざん むりょうこういん じょうこうじ)
場所:茨城県ひたちなか市館山9015
アクセス:ひたちなか海浜幕張駅鉄道湊線 那珂湊駅から徒歩10分


関東一帯が、気温30℃を超す真夏日となったこの日、私は田んぼに挟まれた一本道、単線の電車に揺られながら浄光寺を目指しました。茨城県のひたちなか市という町には、「ひたちなか海浜鉄道湊線」という一、二両編成の鉄道が走り、静かな田園風景をゆったりと望みつつ、外の暑さを忘れるような時間を楽しめました。

那珂湊駅という駅に着いてから10分程歩きますと、小高い丘の上にお寺が見えてきます。それも一つ屋根ではなく、いくつものお寺の本堂の屋根です。
館山という小高い丘を登り切りますと、そこにはなんと浄土真宗本願寺派のお寺が並んで七ヵ寺も集まっていました。なぜ小高い丘の上に七ヵ寺も集まったのかといいますと、江戸時代に当時の水戸藩の藩主であった水戸光圀公の命により、城下各地からこの館山に真宗寺院が移されたそうです。そしてそのお寺の一つに、親鸞聖人の高弟の一人であった唯仏房という方が開かれた浄光寺があります。



浄光寺の寺伝によれば、藤原隼人佑頼貞という方が、当時関東においてお念仏の布教の旅をされていた親鸞聖人と出遇い教化を受け、他力本願の教えに感動し、お弟子となり唯仏房浄光という法名を賜ったそうです。
その後、唯仏房は親鸞聖人から、直筆の九字の名号(阿弥陀如来の名前)等を授けられ、念仏道場を創建したことが浄光寺の起こりとなったそうです。



親鸞聖人の直筆の名宝を残す浄光寺は、江戸時代において、壮観な寺格と豪華絢爛な荘厳によって関東別院と称されたといいます。しかし、明治維新の戦乱により浄光寺をはじめとする村一帯が戦火に包まれ、本堂も焼け落ちたといいます。明治に入り、門信徒らの働きにより復興されたのが今の浄光寺だそうです。
本堂の参拝後、お寺の高台からは綺麗な町並みを見ることができましたが、町もお寺も様々な時代の流れを通して、栄えるとき、そして廃れていくときもあることを知らされました。町と共にお寺があり、お寺と共に人々が暮らしてきた歴史を垣間見ることが出来ました。



ゆっくりとお参りをさせて頂いた後、お寺から少し歩いた場所にある魚市場に足を運びました。海も近いこの町には「那珂湊おさかな市場」という魚市場があり、平日に関わらず、とても賑わいのある市場でありました。お寺と地域に触れる中で、農民や漁民の方々と共に生きて歩んでこられた浄光寺の姿を思わせていただきました。
この町に訪れた御縁でありましたので、私も近海から獲れたという金目鯛の煮つけを最後にいただきました。
~深くご恩をよろこび、有難くいただきます~


Prior Messages








寺カフェ僧侶達の法話





寺カフェ[常設]イベント





寺カフェ[恒例]イベント






PAGE TOP