親鸞聖人 二十四輩


僧侶「安静至邦」による、二十四輩のお寺巡り。


新潟・越後の二十四輩~無為信寺~


二十四輩第十一番 無為信房
真宗大谷派 仏性山 金剛院 無為信寺
(しんしゅうおおたには ぶっしょうざん こんごういん むいしんじ)
場所:新潟県阿賀野市下条町8-21
アクセス:JR羽越本線 水原駅から徒歩7分


浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が京都から念仏弾圧により流罪に処された新潟・越後の地を巡っています。新潟を巡る旅、第二弾は新潟県の親鸞聖人の直弟子(二十四輩)のお寺であります「無為信寺」を訪れました。新潟駅から車で約30分、越後平野といわれる平野のドライブを楽しみながら無為信寺への参拝に向かいました。お寺の近くにはJR羽越本線も走っており、水原駅という駅から徒歩でも参拝できるようです。

この度訪れた無為信寺は、奥州(東北地方の中部)の伝道拠点となったお寺であり、国の重要文化財をはじめとした、仏教や真宗関係の史料、絵画などが多く伝わっています。
下条町という穏やかな街の一角に、無為信寺がございました。無為信寺の正面には、松や欅に囲まれた参道が続き、太鼓堂といわれる立派なお堂や鐘楼がございました。
無為信寺は、親鸞聖人の高弟であった無為信房が建立したお寺であります。無為信房は、現在の福島県の会津で生まれ、俗名を武田信勝といい、武士の身分であったそうです。信勝が武士から僧侶の身へ出家をされる経緯として、次のような話が残されています。





あるとき、信勝は館の庭先に多くの蟻たちがいるのを見つけます。蟻たちはせっせと巣をつくり、虫などを運んで蓄えていましたが、突然二羽の雀が舞い降りてきてたちまち巣を壊して蟻たちを全て食べてしまったそうです。それを見た信勝は、命の儚さ・無常の世の中を感じ、また他人の所領を奪い合戦をしている自身の身の上を省みて、出家を志したそうです。
ちょうどその頃、越後の流罪の生活を終え、家族と共に関東に渡り布教伝道の生活をされていた親鸞聖人のもとを信勝は訪れます。そこで、尊いお念仏の話を聞き、たちまちお弟子になられ、法名の無為信房を賜ったそうです。

それから親鸞聖人の元で伝道布教に励まれますが、親鸞聖人が京都へと帰られた後、その命により奥州教化に従事されました。時代によってそのお寺の場所を移転し、時には京都の東本願寺内にあったこともあるようですが、1760年に現在の新潟の地に移されたようです。以後、親鸞聖人のゆかりの地である越後にて、現在に至るまでその法統が守られていました。



親鸞聖人の流罪に遭われた土地を巡る中で、多くのご苦労のなかで現在までお念仏の教えが残され、伝えられていることを肌で感じる旅となりました。また今後も是非、越後に足を運び、親鸞聖人の足跡を巡りたいと思います。


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