親鸞聖人 二十四輩


僧侶「安静至邦」による、二十四輩のお寺巡り。


第五番~千頭の弘徳寺~


小田急小田原線の本厚木駅からバスで25分程走ったところにある、千頭の弘徳寺に伺いました。千頭の道路沿いには小川が流れ、その静かな町の情景には、心が落ち着くような印象でした。




道路から小道に入り、少し歩いたところに弘徳寺がありました。
弘徳寺は浄土真宗本願寺派のお寺であり、親鸞聖人のお弟子であった二十四輩の第五番、信楽房(俗名:相馬太郎義清)が開基であります。
元々、この地に聖徳太子のいわれがある小堂があったそうです。
1230年頃に、親鸞聖人がこの地をめぐり歩きながら教えを広められました。その際、立ち寄られた小堂を同行していた信楽房に託されたと伝えられています。




~善鸞上人の墓所~


本堂を参拝させて頂いた後、御住職にご案内を頂き、親鸞聖人の御子息であった善鸞上人の墓所(墓所は諸説あるとのこと)へと向かいました。
本堂の裏手に回りますと、小高い丘があり、その一画に善鸞上人の墓所がありました。墓碑には「善鸞上人墓」と彫られており、後ろの大きなクスの木の下に埋葬されているそうです。




善鸞上人は、関東にて浄土真宗とは違った教えを説いたことにより、父である親鸞聖人に義絶(親子の縁を切る)されたとされる人物です。
義絶事件の後、信楽房に招き入れられたとされ、弘徳寺を活動の拠点にされ、亡くなられた後、弘徳寺の墓所に埋葬されたそうです。
その後も、代々善鸞上人の墳墓は大切に守らてきました。

勘当され、親子の縁を切られた善鸞上人ではありましたが、資料※によりますと、父親の親鸞聖人から授かった名号を晩年も肌身離さず携えていたそうです。弘徳寺の墓所に参拝し、善鸞上人のお心に少し触れることができたような気がしました。
この地で親鸞聖人が伝道をされてから、700年以上の年月が経った今なお、脈々と教えが継承されています。親鸞聖人のゆかりの土地に実際に足を運ぶことによって、資料だけではなく、寺跡の雰囲気や歴史を肌で感じることができました。
※『慕帰絵詞』


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