親鸞聖人 二十四輩


僧侶「安静至邦」による、二十四輩のお寺巡り。


~第十四番の阿弥陀寺~


証拠山 大山禅坊 阿弥陀寺
宗派:真宗大谷派
場所:茨城県那珂市額田町南郷375
アクセス:JR水郡線額田駅から徒歩25分


茨城県の那珂市という町にある、「阿弥陀寺」というお寺を紹介します。
真宗大谷派のこのお寺は、額田城といわれるお城の城内に建てられており、お寺の裏はその城跡となっています。お寺の外観は、瓦屋根が二段構えとなっており、印象的な構造になっていました。本堂の目の前には樹齢約300年の「しだれ桜」があり、春になると多くの方が桜をみに来られるそうです。今の時期は、お寺の庭に「紫陽花」が綺麗に咲いており、花々に疲れを癒されました。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、京都で念仏の弾圧を受け、北陸である越後へ流罪とされました。親鸞聖人39歳の頃、その刑が解かれ、越後からいよいよ東国常陸(茨城県)へと移られますが、常陸に移られる前、唯一の師匠であった法然上人が京都の地で御往生されたという知らせが届きます。
阿弥陀寺の前身である大山禅坊という草庵にて、親鸞聖人の師匠である法然上人の追悼法要を勤めたと寺伝は伝えられています。今でも、阿弥陀寺にて追悼法要の際に用いられた、親鸞聖人の真筆である「帰命盡十方無碍光如来」の十字名号等の法物が数多く残されています。
親鸞聖人が関東での20年間にわたる布教伝道の旅を終え、京都へと帰られるとき、大山禅坊の草庵を弟子の定信に託されたと伝えられています。元々、定信は天台宗の僧侶であったが親鸞聖人と出遇いお弟子となられたそうです。現在では、親鸞聖人二十四輩の第十四番として語り継がれています。


阿弥陀寺の由来




現在の京都にある本願寺は、正式な名前を「久遠実成阿弥陀本願寺」といいます。これは親鸞聖人の孫にあたる覚如上人の時代、亀山天皇が親鸞聖人の廟所(お墓)に対して贈った寺号です。覚如上人は、京都から東国の阿弥陀寺に出向し、その荘厳(仏具などの飾りつけ)に深く感銘を受けられたそうです。そして天皇より賜った本願寺の寺号の「阿弥陀」を大山禅坊に贈り、阿弥陀寺という寺号が付いたそうです。
「阿弥陀」とは、浄土真宗の御本尊(仏さま)である「阿弥陀如来」を示しています。昔から、村の方々や信徒の方々と共に、阿弥陀如来のお念仏の教えが伝わり、心のよりどころとされてきたのかと思います。
そのお荘厳の美しさと、趣深いお寺の伽藍を見させていただきました。

合掌


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