親鸞聖人 二十四輩


僧侶「安静至邦」による、二十四輩のお寺巡り。


三百里を超える家族の絆~青蓮寺~


二十四輩第八番 性証房
浄土真宗本願寺派 皇跡山 極楽院 青蓮寺
(じょうどしんしゅうほんがんじは おうせきざん ごくらくいん しょうれんじ)
場所:茨城県常陸太田市東蓮地町200


四月の初旬、春の訪れを迎え、満開の枝垂桜が咲きほこる二十四輩のお寺に訪れました。ここは茨城県の常陸太田市にあります、青蓮寺というお寺です。お寺に着きますと、美しく整備をされた境内の真正面に特徴的な屋根の形をした本堂がありました。本堂の横には、美しく咲いた立派な枝垂桜があり、木陰では日向ぼっこをしているお寺の可愛い猫たちが印象的でした。

青蓮寺の開基は性証房という親鸞聖人のお弟子で、お寺の歴史は800年以上だそうです。性証房の俗名は畠山重秀といい、父が幕府の御家人であったそうですが、謀反の疑惑をかけられ命を落としたようです。重秀は父の墓を訪ね常陸国(茨城県)を行脚中、親鸞聖人に出会いお弟子になられたといいます。



今回ご案内をいただいたご住職に話を伺いますと、驚いたことに、私の出身であります九州の大分県と青蓮寺が深いご縁で結ばれていたことが分かりました。ご縁を結ぶきっかけとなった話を「二孝女物語」といいます。
今からおよそ二百年前に、豊後国(大分県臼杵市)の浄土真宗の御門徒の初衛門という方が、関東まで来られて親鸞聖人の遺跡巡拝をされていたそうです。私も同じように関東の寺院参拝の旅をしていますが、当時便利な電車や車があるはずもなく、険しい徒歩によっての巡拝の道中、初衛門は病によって、青蓮寺の門前にて倒れられたそうです。お寺の前で初衛門を見つけた青蓮寺の住職は、赤の他人であったにも関わらず、仏教の利他の精神で初衛門を手厚く介護したそうです。それからというもの、病によって1人では故郷へ帰ることができなくなった初衛門は、青蓮寺の境内の宿小屋で介護を受けながら住まわれたそうです。
二度と故郷に帰ることができないと思われた初衛門でしたが、病に倒れて7年後、当時の青蓮寺の住職が京都のご本山である西本願寺の参拝(親鸞聖人550回大遠忌)へ行った際、偶然にも豊後国(大分県臼杵市)の初衛門のお手継ぎ寺であった善正寺の住職と出会い、初衛門の病臥を伝えました。善正寺の住職は、大分へ帰ると初衛門のご家族へ、初衛門の所在を伝えると、それを聞いた初衛門の2人の娘「つゆ」と「とき」が三百里(約1200km)彼方の青蓮寺へ、父を迎えに行くことを決断します。
娘2人の道中、様々な苦難を乗り越え、2か月かけて青蓮寺に到着し、父と7年越しの再会を果たしたそうです。そしてこの2人の娘の行動に心を打たれた地元住民や水戸・臼杵両藩の人々から様々な支援を受け、翌春無事に親子3人で帰郷を果たす話が「二孝女物語」です。



そしてこの物語は、ただ単に昔話では終わらずに、現に2つの市を結んでいます。2011年の東日本大震災の際、大分県臼杵市から茨城県常陸太田市へ直接義援金が送られたそうです。これは臼杵市が200年前、初衛門が青蓮寺にお世話になったという感謝と報恩の思いがあったからです。それから2015年には、常陸太田市と臼杵市は姉妹都市として提携し、お互いに深く交流をされているそうです。
200年という時を超えて、町と町を繋げたご縁の深さ、家族の絆の尊さを、今回の青蓮寺の参拝で知らせていただきました。

合掌


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